あなたのクローゼットに、90年間誰にも見せなかった宝物が眠っていたとしたら? そんな話が時計の世界で本当に起きた。しかも相手は、世界で3本しか存在しない、ある伝説の腕時計だ。正直言うと、この話を最初に読んだとき、私はしばらく画面から目が離せなかった。
「世界で3本」の意味を、ちょっと考えてみてほしい
2026年5月11日、クリスティーズ・ジュネーブのオークションに、とんでもない時計が登場する。1930年製のオーデマ ピゲ「クッサン・トルチュ」シングルボタン・クロノグラフ(Cal. No. 41,849)。プラチナケース、わずか27.5mm、アール・デコの美学が凝縮されたその時計は、オーデマ ピゲが初めてクロノグラフ腕時計を作ろうとした年——1930年——に生まれた、実質的な”第一号”に限りなく近い存在だ。
当時、ブランドはたった6つのムーブメントしか製造しなかった。そのうち完成品になったのはわずか3本。最初の1本はホワイトゴールド、残りの2本がプラチナ。今回競売に出るのは、そのプラチナ製の1本だ。1937年にジュネーブの小売店に納品され、1943年に購入された後、80年以上、元のオーナーの家族だけが所有し続けた。オークション初出品。つまり、これが初めて「外の世界」に出る瞬間なのだ。
1930年から1980年の50年間で、オーデマ ピゲが製造したクロノグラフ腕時計はたった307本。その中でも「一番最初のバッチ」から生き残った1本が、今ここにある。推定落札価格はCHF 20万〜40万(約3,300万〜6,600万円)。でも私が思うのは、金額よりも「なぜ90年間、誰も手放さなかったのか」という問いだ。
「残す」という選択が、歴史を作る
時計好きなら知っているかもしれないが、ヴィンテージ時計の世界では「オリジナルコンディション」が命だ。この時計は出品前に、ヴァレー・ド・ジュー(ル・サンティエ)にあるオーデマ ピゲ本社のマスター時計師たちが「できる限り1930年代の雰囲気を残す形で」修復を施している。ブランド自身が「これは歴史の証人だ」と認識しているということだ。
日本ではまだ、こういう「ファッション×歴史的遺産」の文脈でヴィンテージウォッチが語られる機会は少ないと思う。でも海外では、希少な時計は美術品やアートと同じ目線で扱われ、コレクターたちが血眼で探す「生きた文化財」になっている。このクッサン・トルチュが日本のどこかのコレクターの手に渡ったら、と想像するとちょっとワクワクしてしまう。
💬 Naoより:正直言うと、私がこの話に惹かれたのは価格でも希少性でもなくて、「90年間、ずっと家族のそばにあった」というその事実だ。誰かが売れたはずなのに、売らなかった。その理由を知りたくて仕方がない。あなたなら、もし自分の家の押し入れからこんな時計が出てきたら——手放す? それとも次の世代に渡す?

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